庭とエスキース
奥山 淳志
11/20 up
写真家は、経済発展をし続けた日本社会に疑問符を投げかけ、北海道で自給自足の生活を営んでいた井上弁造さんを撮影してきた。撮影は長く続き、弁造さんが逝った後は庭と遺品のエスキースが対象となった。写真家はその撮影に費やした長い年月から「生きること」の質感と温度を実感する。
写真集『弁造 Benzo』および本作品、個展「庭とエスキース」で2018年日本写真協会賞 新人賞を受賞。
流星痕
加藤 ゆか
11/20 up
流星が通った跡に残る光の筋は、ほんの数秒、夜空を鮮やかに照らすが、幻のように暗い闇に溶けて消えてゆく。
二人で過ごす穏やかな時間やささやかな喜びは、まるで一瞬の煌めきのように光っては消えていく儚さのようだ。
写真家は、愛する人との幸せな時間は流星のように一瞬で過ぎ去り、その幸せな瞬間に撮った写真は痕跡のようだと思い、流星痕を自分の姿と重ね合わせた。
シリア難民の肖像〜Borderless people〜
小松 由佳
彼らは希望や安全を求めて「国境」を越える。新しい土地に根を下ろすことで、人々は一度失った社会基盤を取り戻そうとする。写真家はそんな激動の時代にあって困難に直面しながら生きる人々の姿を、難民としての彼らではなく、同時代を生きる一人の人間として見つめて、シャッターを切った。
マタギ
木村 肇
東北地方から北海道にかけての山岳地帯で、集団で狩猟を行う者を指す。
熊胆は古来から「万病に効く薬」とされ、高額で売れためクマを狙うマタギが多く、マタギとはクマを猟るものというイメージが定着した。
しかしマタギが活躍した集落も山村の過疎化などで猟師が激減し、マタギの文化は絶滅の危機に瀕している。
写真家はそんな山とともに生きる貴重なマタギの生活に密着した。
御意見無用
元田 敬三
ストリートでビビッときた人にシンプルにそう言って写真を撮らせてもらっている。ストリートで出会い、心が動く人には極端な人も多いと写真家は感じる。その姿は路上で肉体を体現するかの様な、自分は自分、自分の好きなことを知っている人だと思う。
やはり制度から自由になっている人を見ると心動かされる。写真家はそんな自由な生き方をしている彼らに愛情と畏敬の念を込めてシャッターを切る。
西へ 5000km
深津 友成
火葬場で焼かれ残された骨は聖なる川に流される。輪廻の繰り返しを信じ、墓をつくらない国 ネパール。この国の人々はおおらかで、その風景はかつての日本の懐かしさに似ている。写真家はそんな明るく前向きに生きるネパールの人々の一面を写し撮った。
東京でのスナップ写真で知られる写真家が初めて海外で撮った意欲作。
Daydream Believer
佐久間 ナオヒト
子供は成長するにつれてどんどん自分の世界を持ち始め、次第に親離れしていく。父親はその時が来るのを少しでも先に延ばそうと娘と作品を撮り始めた。娘がかぶっている虎のお面は偶然に家にあったもの。娘はまるで大きな猫のようにカメラの前で自由気ままに一人の少女を演じる。
これは5年以上に渡る父親と娘との白昼夢のような蜜月の時間。
The Skin of City -都市の皮膚
大石 卓哉
街は絶えず再生と破壊を繰り返していてその全容を変化していく。
見慣れた街に突如シートという無機質な物体が現れて知っているその場所を覆い、何か生命を感じさせそしてその場所から消えいく。写真家はそんな使い込まれた工事現場のシートから都市の記憶と新たな生命の鼓動を感じる。
a priori
真月 洋子
歳を経ることでひとの身体にあらわれてくるしみやしわの様子は、徐々に枯れていく花の花弁や樹々にとてもよく似ている。写真家は身体と植物の影をからみあわせることで身体に宿る先天的なものを写し撮った。
蛞蝓草紙
安掛 正仁
そう考える写真家は、自分の写真が持つ湿度と日本の気候から、自らの写真活動を跡をつける習性を持つ蛞蝓( ナメクジ )に見立てた。
子供の頃から民話に魅了されてきた写真家は、懐かしくもどこか怪しげな現実と空想の世界の狭間を旅し、見る人を民話の世界に誘い込む。
綾
倉持 真純
写真家は感情にすり合わせるように被写体を選び、その形に切り取って写真を撮る。
人の心の内面は絶えず変化して、それはカタチのない水のようだ。
そんなカタチのないものを表現するため、写真家は自ら感情が赴くままに撮ったもので、見えないものを視覚化した。
地の巣へ
清水 裕貴
2019年、自分から発信し、人と繋がれるスペースとして、千葉県船橋市に「ギャラリーtide/pool」をオープンした。
美作 / MIMASAKA
小林 正秀
この地で生まれ育った写真家は、ここはどこにでもありそうな、普通の田舎町だと語った。自然に囲まれていて、古くから続く営みも残っていて、都会と比べても時間の流れが穏やかに感じられる。そんな当たり前の風景が当たり前にある素晴らしさを伝えるために、写真家は記録し続ける。
Hodophylax: The Guardian of the Path
林 道子
写真家はそんな狼の存在と痕跡を追うことで、古の日本の人々の心に想いを馳せた。
RESISTANCE カンボジア 屈せざる人々の願い
高橋 智史
恐怖の弾圧で駆逐し断行されたその総選挙は、33年間首相の変わらぬ強権支配を続けるフン・セン政権が力で掌握する結果となった。これは民主と正義を求め、命をかけて立ち向かい続けた人々の記録である。写真家は声なき人々の切望を見つめ、彼らが今を生きたその証を、届かぬ彼らの願いを伝え続ける。本年度、第38回「土門拳賞」受賞作品。
Kagerou
高木 佑輔
福島の地を訪れた写真家は、放射能で汚染されながら力強く再生しようとする福島の人々と自然に美しさを感じた。東京では震災は過去の物となり人々は平和のなかで生きている。だが写真家にはそんな不安定な安全神話のうえに成り立つ東京の風景が虚構のように歪んで見えた。写真家は福島と東京の対比させることでこの国の将来を不安を写し撮った。
Bird, Night, and then
千賀 健史
ここはインド・ビハール州、この国の若者はカースト差別や家族からのプレッシャー、将来への不安から、唯一知る希望の道を断たれた時、自殺を選択することがある。希望を失った彼らにとって選べる道はそれほど多くないのかもしれない...。だが、今見えている世界だけが人生の全てではない。これは新しい光を求めて旅立った1人の青年の物語。
オオサカ
石倉 孝朗
写真家は大阪の路上で繰り広げられる街と人々の光景をエッジの効いたハイコントラストでリアルに写し撮った。
Jupiter
鷲尾 和彦
写真家は今まで自分が「美しい」と感じる瞬間を撮影してきた。それは「Hello」と「Good Bye」、「Happy」と「Sad」、「Hope」と「Despair」など、その両方のクオリティがあること。その狭間に「美しさ」はあるという。これは写真家がデジタルという表現で新しい風景を探索する現在進行形のプロジェクト。
アインシュタインロマンス color
所 幸則
どんなに高速で移動していても遠くのものは止まって見えると言う事。写真家はそれを300Kmで走る新幹線から撮る事で試みた。
世界で絶賛されたモノクロ版「アインシュタインロマンス」を、フジフィルム中版ミラーレスデジタルカメラ「GFXシリーズ」で撮った最新カラー作品。
白い箱
三木 邦仁
写真家は、日常で出会った小さな発見を丁寧に写真に収め、その写真の物語を妄想する。
フィルムで撮ったその柔らかで優しい描写が心に沁みる、日常の中で拾い集めた幸せの欠片。
インスタグラムのファロワー約9万人の写真メディア「RECO」のメンバー。
通勤時間
舘 太加志
写真家は毎日ポケットにGRを忍ばせて通勤途中に写真を撮っている。
毎日通っていても、季節やその日の天気、時間の違い、またそこにいる人の動きなどで全く違う光景に出会える。毎日がこんなに変化に満ちて魅力的なのに、ほとんどの人はスマホに夢中でその事を知らない。写真家はそんな瞬間に出会えることがうれしくて、今日もカメラを持って街へ繰り出す。
津軽再考
柴田 祥
写真家は地元青森を拠点に北国の風景を撮り続けた写真家、小島一郎に強く影響を受けたという。
少子高齢、過疎の問題でどんどん減退していく津軽の地で、失われていく風景や街並を残すため、写真家は記録し続ける。
東京の姿
石野 弘晃
写真家は、目の前に現れては消えていく一瞬一瞬の風景を追い求め、都市風景で起きる偶然の現象を記録する。
これは、未来でも過去でもない「現在の東京の姿」。
海中肖像写真
久保 誠
それは空気タンクを背負わず、息を止めて一息で潜るフリーダイビングから取った写真家の造語。
写真家は自宅前の館山の海でいつも潜ってる。この海は伝説のフリーダイバー、ジャックマイヨールが愛した海。写真家はその海にフリーダイバーの友人を招き、海底に深く沈めた椅子に座ってもらった。そこは海底に沈めた椅子と三脚しか置かれていない世界で一番広いスタジオである。
追憶のカルカッタ
タシデレ中田
かつて「宇宙で最も邪悪な場所」と言われたこの街を、写真家はカメラを片手に熱に浮かされたように歩きまわった。
駅の混沌と街の喧噪、ストリートで暮らす人や路地裏の子供たち...
写真家は五感のすべてをフル活用してこの街が発する「得体の知れない」エネルギーを受け止めた。
2001年に「コルカタ」に正式名称が変更してもこの街の魅力は色褪せない。
応報と英雄譚
寺本 雅彦
それはヒンドゥー教の聖典の一つであり、『マハーバーラタ』と並ぶインド2大叙事詩の一つ。
その物語は解釈次第で加害者と被害者が揺らぐ正義の定義について考えさせられる作品でもある。
写真家はそんな古代の叙事詩の視点から、現代のインド・スリランカで暮らす人々の生活を追った。
旅と写真を愛する人が集うカフェ。横浜・綱島の「pointweather」のオーナー。
風に転がる紙屑に書かれたような美しい、光と踊るネズミのグラフィティ史
横山 隆平
写真家はそんな現れては消えていくグラフィティを都市の風景概念と重ね合わせ、街の輪郭を写し撮った。
気鋭の若手写真家によって立ち上げられた出版レーベル「バッファロープレス」のメンバー。
EACH LITTLE THING
熊谷 聖司
「EACH LITTLE THING」。
それは写真家が考える世界を構成している「小さな事柄」。そして街で出会った興味深い瞬間の断片。
写真家は己の欲望に対して忠実に、自ら良いと思うものにカメラを向けた。
東京刹那
深津 友成
同じ読み方がそうさせるのか、その一瞬を意味する言葉は、どこか「切なさ」に通じるものがある。
写真家は、東京の街の雑踏を行き交う人々が一瞬一瞬に垣間見せるその表情に、切なさや愛おしさを感じ、変わりゆく東京の街で生きる人々の刹那を写し撮った。
朝の祈り
オカモトアユミ
大切な人を亡くした写真家は、かつて見た透き通った朝の光景をもう一度見るために、夜明けと共に始まる撮影を始めた。
それは写真家自身が再び前に進むための行為であり、今日という日を迎えれなかったあの人に捧げる祈りでもあった。
きたかぜと少女
宮内 マサノリ
いつも訪れている町なのに、普通に見える風景がどこか不穏な雰囲気が感じられる。
誰もいなくなった学校の校舎や行き交う人々のどこか寂しげな後ろ姿...
写真家は中学生という感受性の強い少女の特有の視点から、日常の風景に潜むこの世界の脆さや危うさを見事に描き切った。
もうひとつの連獅子
楠本 涼
これは人生のほとんどを日本舞踊に投じてきた舞踊家「やまとふみこ」とその弟子の物語。
日本舞踊という芸の継承を無くしては途絶えてしまう世界において、弟子に自分の芸を伝えることはその道の存続に関わる重要な問題。写真家はそんな現代における新しい師弟関係を模索する舞踊家の知られざる一面を追った。
第13回名取洋之助写真賞 奨励賞受賞作品。
20050810
榎本 八千代
この日は保育事故で失った最愛の息子の命日。そして母親の時間はその日からずっと止まったままでいた。彼女にはどうしても息子の死を認めることができず、残された遺品は戸棚の奥へ隠されていた。
2016年の春、彼女はしまわれていた箱から一つ一つ丁寧に取り出し写真を撮り始めた。それは11年前の「喪失」と向き合い、それを受け入れ、一緒に生きていくと誓った彼女が再び踏み出した一歩であった。
角筈(つのはず)と呼ばれた街
上出 優之利
この街を約8年撮ってきた写真家は「ここは檻のない動物園だ」と語った。雑多な生き物がカオス的に存在し、調和を保ち緊張感のある空間を構築しているこの街の魅力は、動物的な剥き出しの欲望が返って人間らしさを強調してることにあるだろう。この街に魅せられた写真家は毎夜パトロールのように街を徘徊し、街の鼓動を記録する。第23回土門拳文化賞奨励賞を受賞した写真家が報告する新宿・歌舞伎町、今夜も異常ナシ!
月の出てない月夜の晩に
村山 康則
私たちが普段何げなく乗っている電車は社会の縮図と言ってもいいだろう。
車内に乗り合わせた様々な人々、車窓から見える街の景色やその灯りの元で暮らしている人々の生活。
写真家はガラスに折り重なるように反射して映る人々を撮ることで、矛盾に満ちながらもいくつもの層が複雑に絡み合う社会を写し撮った。
静謐
竹中 みなみ
本来、人間はもっと身軽に生きれるはずなのに、捨てるに捨てれず持っているモノや余計な人間関係のシガラミが生き方を重くさせる。
「せめて写真だけでも、不要なものは省いていたい。」
そんな思いで、写真家は眼の前の風景から余分なものを削ぎ落とし、静謐な世界を追い求める。
きっとここにはいない
岡本 賢治
インスタグラムでストリートスナップを発表。その陰影に満ちた独特なリズムを持つ作品が注目を浴びる。全編iPhoneで撮られた作品。
哀惜
三浦 勇人
花を撮ったのは、自然に咲いて朽ちていく様に母を重ね合わせたからだという。
野に咲く花は刹那的で季節の終わりとともにあっけなく散り、そして季節が来てまた咲き始める。花の美しさと儚さは、人の一生に通じるものがある。大切な人を失い残された者はその哀惜の情を乗り越えるのではなく、共に生きることを胸に刻んで今日も生きる。
Strangers
橋本 哲也
写真家は大胆な構図と手法により見慣れた街並を不思議でアンビバレンツな世界に変えた。
祭堂 ZAIDO (Dedicated to My Father…)
地蔵 ゆかり
そこで出会ったのは1300年も続く、能衆(舞楽を舞う人)が、優雅な舞を奉納していく神秘的な祭事。長い年月の中、幾度となく存続の危機にさらされてきたこの祭事を懸命に守り続けようとする人々の姿が、写真家に再び生きる勇気と希望を与えてくれた。
Quiet Existence
堀内 僚太郎
通称ジプシーとも呼ばれる彼らの居住地を訪れると、ロマ以外にもマイノリティーとして生きている多くの人々に出会った。彼らと接していると声に出さないが自分の民族に対する誇り高いアイデンティティーを感じたという。写真家は彼らの静かな主張から自分自身のルーツについて考える。
88
尾﨑 ゆり
この作品は写真家が「お遍路」四国霊場88ヶ所を巡礼した旅の記録。
1400kmの巡礼の旅の果てに写真家が見たものは一体何か?写真家は旅で感じたことを確かめるように、そして忘れないように写真に収めた。
今年の4月に初写真集「88」を出版した写真家の集大成となる作品。
Workers in Dharavi
谷田 智之
映画「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台ともなったこの街は、新興国インドの経済発展とともに劇的に変化していく。熱気を帯びたこの街で働く人の表情には仕事に対する誇りが感じられた。
写真家はそんな急激に変化していくDharaviの街で、懸命に働く人々の生活を追った。
The Face of Places
増田 貴俊
列車の車窓から絶えず流れていく景色を見て、写真家はその景色を重ねて見せる表現を思いついた。
それは私たちがかつてどこかで見た懐かしいと思われる風景。
写真家は車窓の景色を重ね合わせることで、その土地の「地域の様相(The Face of Places)」を描いた。
東京Cromatic
佐々木 由香里
刻一刻と変化を続ける東京の街。
街を行き交う人々の雑踏と、
電車の車内でよく見かける景色、
そして、喫煙所でたむろしている人々...
写真家は日々すれ違う何気ない人々の表情を丁寧に写し撮った。
今年刊行されてすぐの完売が話題となったストリートZINE「VoidTokyo」のメンバー。
彗星
伊藤 公一
それは初めて人を好きになった瞬間かもしれないし、また帰り道に思いもよらない素晴らしい景色に出会った時かもしれない。
写真家はそんな日常の中で出会うささやかな奇跡を写し撮った。
東京カメラ部10選にも選ばれた写真家が描く、闇夜に流れる一筋の彗星の物語。
On Labor
吉田 亮人
写真家はバングラデシュやインドに赴いて肉体労働者の人々を撮影してきた。そこで写真家が出会ったのは過酷な現場で力強く生きる人々。そんな彼らを見て写真家は「働くことはなにか」を考える。
「KYOTO GRAPHIE 2017」で新作も絶賛された注目の写真家が辿ってきたこれまでの軌跡。
DOTO
松井 宏樹
写真家は学生時代を道東で過ごした。大自然の中での生活はその後の写真家の人生に大きな影響を与えることになる。
写真家は活動をするにおいて憧れた地で通過者としてではなく、生活者としてその地を記録したいと思い、北海道の網走に移住した。
自主レーベル「PINE TREE BOOKS」設立。北の大地から現地の人の視線で作品を発表している。
apollon
フジモリ メグミ
写真家は、3.11以降よりその思いを強めたという。私たちが当たり前と思っている日常は実は奇跡の連続で、その日常のはかなさは、まるで子供の頃の美しい記憶と重なる。写真家はそんな見過ごしがちな当たり前の幸せを丁寧に拾い集めた。
待望の写真集「apollon」も発表した注目の写真家が撮った日常の中の幸せの結晶。
KALADAN ~ミャンマーの西の果て ロヒンギャの村から~
新畑 克也
メディアで報道されるロヒンギャの人々は悲しみに満ちた表情しか浮かべていないが、実際に会った彼らは生活は貧しくも穏やかな表情とやさしさにあふれていた。
写真家はそんな彼らの知られざる本当の姿にスポットを当てた。
トーキョー・ブルース ~Tokyo Blues~
岩男 直樹
一枚の写真に凝縮された街の人間模様はどことなく哀愁が感じられ、まるでブルースを聴いているようだ。そのハイコントラストでざらついた描写は見る者の心に確かな痕跡を残す。
オリンピックを控え、刻々と変化し続ける「東京」の今を切り取るストリート写真誌 「VoidTokyo」設立メンバー。
SAGAESCAPE
高梨 豊
補集合_2
山本 瑞穂
前回、作品を発表したとき写真家は芯をぼかすような描写を好んだ。それはありのままの自分を見せることへのためらいだったのかもしれない。触れたら消えてしまいそうだったシャボン玉のように不安定だった内なる自分から、確かな輪郭のある形のあるものへの回帰。解決してくれたのは時間なのか?これはひとりの女性の心の旅の軌跡。
静かな喜び
sprout
どんよりとして、まるで色の抜け落ちたかのような静寂な景色は、眺めているだけで心が落ち着く。この風景を求めて、写真家はあえて曇の日にしか撮影をしなかったという。写真家は自分だけの秘密の場所に出会えたようなそんな静かな喜びを表現した。
大阪・南船場のギャラリーアビィ主催、「第9回ギャラリーアビィ オールスターズ戦」で1位になったことを受けて発表された作品。
イスナ村の少女キンレー Bhutan
関 健作
ここはブータンの唯一の国際空港があるパロ近郊のイスナ村。産まれた時から知る少女キンレーは人懐っこい少女に育っていた。ブータンの伝統や習慣が根付くこの村にも経済発展ともにライフスタイルに変化が出てきた。そんな彼女と村の生活を写真家は丁寧に写し撮った。
霧のあと - Trace of fog -
阿部 祐己
去年、「新しき家」で2015年 三木淳賞を受賞した写真家の受賞後第一作品。
紡ぐ
小松 里絵
その地は、かつて母に連れられて来た祖母の故郷だった。私はその場所で娘を撮る。それはまるで一本の糸を紡ぐかのように祖母から母へ、母から私へ、そして私から娘へと家族の絆を結んでいく。
繊細な描写が美しい、四季折々の琵琶湖のほとりの風景。
2016年第5回キヤノンフォトグラファーズセッション キヤノン賞(瀬戸正人氏選)受賞作品。
Calle Esperanza
水渡 嘉昭
写真家は、キューバの首都ハバナの旧市街で夕暮れになると人々が玄関先の街路に出てきて思い思いに過ごしている光景に惹かれた。日本では考えられないようなゆったりとした時間を無為に過ごす人々。彼らが期待して待っているものは、この穏やかな生活なのかもしれない。
2015 コニカミノルタフォトプレミオ入賞作品。
生きる、信仰
浅井 寛司
土地も歴史も大きく差違のある両者だが、大乗仏教を基とした精神を持つ民族、という共通した繋がりを持つ。
物質的豊かさを享受してきた日本とは対照的に、物質的豊かさに恵まれず厳しい気候や不遇の民族の歴史を持ちながらも、チベット仏教という絶対的な支えを持つチベットの人々。彼らの尊く気高さに満ちた生き方を見て、写真家はチベットの地で「本当の豊かさ」について考える。
新宿ランウェイ
ソトザキケンイチ
行き交う人々が互いに交わる事もなくすれ違い、そして交差していくこの光景は、現代社会の縮図ともいえる。だが、人々はそれぞれの行き先で様々な役割を演じ、生活のために生きている。街はそんな人々が役を演じる舞台のようだ。そしてまた今日も人々は新宿という街の舞台に上がるために、ランウェイを駆け抜ける。
In One's Mind
桑原 雷太
日本の伝統的な世界観に「ハレとケ」というものがある。「ハレ」という祭りと「ケ」という日常。写真家は遠くインドの地でかつて見た光景を重ね合わせる。それは日本だけではなく、世界のいたるところで見られる人間の歴史の原風景。写真家はそんな懐かしい瞬間を求めて、また旅に出る。
Primal Mement
北 義昭
世界中の子供たちと遺跡で構成された作品は、現代で暴くことのできない原子の記憶を写し出している。
これは「原始の記憶」を巡る旅。
Ad City
イチカワ ケイイチ
誰もが見ているのに見過ごしがちな「広告と人の関係」。
すごいスピードで移り変わっていく広告と街を行き交う人々はあたかも当然のごとく同化して、街の風景の一部になっていく。
写真家は、消費のための生産を繰り返す現代消費社会の中に無意識の内に取り込まれながら、その中でたくましくも順応して生きている現代人をユーモラスな視点で切り撮った。
東京ストリート
鈴木 達朗
インスタグラムで2万人以上のフォロワーを持ち、海外での評価も高い今、東京のストリートを最も撮れる写真家が撮った「東京・渋谷」。
花札装束
増田 伸也
歪み - rain and strain
大西 正
それは私たちが経験するもっとも身近な非日常的な特別な日。いつもの見慣れた街は雨が降ることで視界が一変する。眼の前の風景が歪んで見えるのは、自分の心象風景なのだろうか?写真家はそんな都会に生きる人々の日常をモノクロームで写し撮った。4月に開催した個展も大成功を収め、これからの活躍が期待される写真家が撮った「雨の日の東京」。
20XX: Nagoya
倉科 ジュンペイ
そこからモノクロームの世界に魅せられた写真家は加速度的に写真の世界に入っていく。
生まれ育った名古屋を拠点に街のスナップを多数発表、貪欲に人ごみに入っていく撮影スタイルから写された名古屋の風景は、見る者に新鮮な印象を与える。
近頃はポートレイトにも興味を持ち、今の作風に加えたいと考えている。
トーキョーロマンチカ
山下 忠志
長年、東京の街をモノクロで撮ってきた写真家が満を持して発表したカラーによる作品。
その艶やかな色彩は、写真家が生まれては消えていくペラペラの雑誌のような存在と言った、リアリティの希薄な東京の街によく似合う。
かつてモノクロで力強い作品を発表してきた写真家が、今までの作風に鮮明な色彩を加えることで新たな表現を手に入れた。
写真家の新極地を開いた作品。
©TOKYO
オカダキサラ
写真は、あくまでコピーであるから私は日常を複写しているにすぎない。現実の世界がこんなにも面白く、そして素晴らしいということを伝えたい。と写真家は語った。日常の中で遭遇するちょっとおかしな光景をユニークな視点で切り撮った彼女にしか撮れない世界。
過去7年で発表した11冊の自主制作の写真集ZINEはすべてSOLD OUT。6月の個展に合わせて、待望の初の写真集も発売予定。
Tokyo Spiritual
鈴木 信彦
東京、夜の渋谷。
15年...写真家は15年、この街の夜の景色を撮ってきた。
なぜ渋谷という街に拘るのか?
写真家は渋谷に集まる若者たちの表情に惹かれるのだという。日本中から絶えず若者が流入し続ける街、渋谷。都会の夜の喧噪の中で、彼らが垣間見せる孤独感や寂しげな表情は都会に生きる誰もが抱いてきた感情。写真家はそんな街で生きる若者たちの姿を劇的なまで鮮やかに切り撮った。
細胞 -cell-
椿 久美
カメラの前で自分をさらす。
それは日常の中で付けている仮面を剥ぎ取る行為。
写真家はスローシャッターで自分自身を撮る。
撮られた被写体はまるで幻のようにぼんやりと画面の中を漂い、それでいて確かにその瞬間にそこにいたという痕跡を残す。
写真家は、あの瞬間に、そして今この瞬間に自分が存在した証として写真を撮る。
時の署名/Chronosignatures
村山 康則
過去から未来へと続く「時の中」で、人が子供から大人になり、そして年老いていくように、この世にあるすべてのモノは、その流れに抗うことは出来ない。それは人工物も同じことで、そこには産まれてから現在までの歴史が刻まれる。そして、写真家は何げないモノに惹かれるようになったという。そこに刻まれた歴史から過去に想いを馳せる。
いつかかわっていく景色
八木 香保里
「変わらないこと」と「変わること」。
絶えず流れて行く時間の中で、眼の前の景色は不変ではありえない。それは人の気持ちも同じことで、私たちは過去から未来へと続く道を引き返すことはできない。
しかし人は、いやだからこそ過去を懐かしみ、変わりゆく景色に過去を重ね合わせる。
写真家は「いつかかわっていく」眼の前の景色を、感情を、丁寧に写真に収めた。
In Between
竹沢 うるま
1021日、103の国々を旅した写真家がとりわけ魅了された国「キューバ」。
旅を終えた写真家は再度「キューバ」に訪れた。この国には訪れた人の心を揺さぶる熱い力がある。
写真家は疾走感溢れるこの国のリズムを大胆な描写で表現した。
木村伊兵衛賞の最終選考に残った前作「Walkabout」から2年、新作写真集「Buena Vista」も好評な今注目の写真家が挑む新極地。
border line
村上 由希映
写真家は、カメラを始めるきっかけを作ってくれた父に会いにいく心の旅に出た。
そこは、まるであの世とこの世の狭間のような霧に覆われた幻想的な風景。写真家は静寂の中で父の呼吸を感じる。
12月より奈良県大和郡山に、自身が代表を務めるギャラリーをオープン。奈良で誰もが写真を楽しめる居場所を目指す。
ニガヨモギの星の下
腐肉 狼
1986年4月26日。
当時のソビエト連邦で起こったひとつの事故が世界を変えた。
ここは「チェルノブイリ」。
かつて5万人近くの人々が暮らしていた街は、まるで一夜にしてゴーストタウンになったかのように人の存在だけがかき消されている。
今も居住が禁止されているその地は、風化されていく人々の記憶に抗うかのように、ひっそりとかつての街の面影を残していた。
ロマネスク上海
中田 博之
写真家曰く、人の生死も金で決まってしまうのが中国という国らしい。写真家はそんな過酷ともいえる中国の上海でストリートフォトにこだわる。「Street」という言葉の裏には、人が生れ落ちてからこの世を去るまで、その流れの中で自分の身の回りにおきた事象全てが対象でもあるのだと考える。そして、写真家はそのごくごく一部を掠め撮る。
今年に入りFacebookで数々の作品を発表して、注目度急上昇の上海在住16年、孤高の日本人ストリートフォトグラファー。
あまくもの
井上 尚美
時を経て、写真家はカメラを持ちその河川敷に立った。
地割れがひどかった場所はすっかりきれいになっていたが、柔らかな日差しと心地よい風は変わっていなかった。写真家は当時と今の思いを重ね合わせながらシャッターを切った。
2014 キヤノン写真新世紀 佳作(佐内正史氏選)受賞作品。
cube
Rieko Honma
こちら側とあちら側...
人々は精神と現実の狭間で生きている。
その境界線は肉体かそれとも心か?
見ることのできないその境界線は、せわしなく生きる今の人々には不確かなモノに感じられる。
写真家は「cube」を使い、この世界にある見えない境界線を表現した。
2015御苗場vol.16横浜、レビュアー賞(寺内俊博氏選定)受賞作品。
norden
武田 恭治
太陽の光が優しい。
北欧の国々は冬の間、日照時間が短い。ゆえに北欧の人々の太陽の光に対する感謝の念は強い。そのせいだろうか、街を照らす光も人を愛おしむように優しく感じられる。古くも整然とした街並はその優しい光を受けて、見る者の心を落ち着かせる。
nordenとはスウェーデン、フィンランドなどの北欧の国々を指す。写真家は北欧の街並をその空気感とともにフィルムに焼き付けた。
#nowplaying
えりねぇ
私たちが普段見落としがちな何げない生活の中でも、目を凝らし、注意して耳を澄ませば、さまざまなメロディをもった景色が見つかる。
これは家の周りの約600m小さな世界。
かつて歌手としてステージに立っていた彼女は、自分の身の回りにある小さな幸せを写真という譜面に残した。
全編スマートフォンで撮られた作品。
「肖像」&「人間図鑑」
内倉 真一郎
この作品が通常のポートレイトと違うのは、被写体に写真家がイメージした役を演じてもらうこと。写真家が被写体を選ぶ基準はその人にエロスを感じるかどうかだという。被写体は自分という殻を破り、演じることにより自分の本性を垣間見せる。
写真評論家の清水穣氏の企画展でも発表された2010年、2011年写真新世紀佳作受賞作品&清里 フォトアートミュージアム ヤングポートフォリオ収蔵作品。
PORTRAIT
マッシュ
ポートレイトは被写体との人間関係が問われる写真だと言われる。
写真家は何げない気持ちで自分の父を撮影した。ほとんど一瞬で終わったその撮影が写真家のその後に強く影響を与えることになる。
そこには傑作といえる写真が写っていた。悠然と息子を真っすぐに見つめるその眼差しは他人には踏み込めない親子の絆が感じられた。
「お前がこれからも写真の道を進むなら、この写真を越えていけ」そんな父からの宿題に思えた。
無音の声
杉野 敬祐
写真家は豊かな自然の中で自分と向き合い、耳を澄ます。街灯がひとつもない真っ暗な夜に身を委ね感情のないモノの声を聞く。眼の前の風景は自分の感情と結びつき強く何かを訴えかけてくる。
大阪で写真学校を卒業した若者は周りが都会を目指す流れに逆らうかのように、あえて地方に拠点を移した。皆が同じ方向を向いていてもつまらない。写真家は地方にいることで撮れる写真を模索する。
Punctum
野坂 実生
ある風景を見たときに自分の記憶や過去に好きだった短歌や物語の一節、そして音楽が降りてきて眼の前の風景と結びつくんですと写真家は言う。
punctumとはラテン語で「一般的関心を破壊する要素」という意味。
写真家は一般的な概念を排し、森の静寂の中で自分の感情を重ね合わせる。
ああ、確かに...
この写真からは詩(うた)が聴こえる...
MOSAIC BUNDI
桑原 雷太
その昔、カメラがまだ普及していなかった時代、写真を撮られるということは特別なことだった。カメラの前ではみんな笑顔だった撮る側と撮られる側の幸せな関係。
人にカメラを向けることで緊張と摩擦が起こるようになったのはいつからだろうか?
インドの北西部にブンディという町がある。その町の人々は訪れた人を暖かく迎え、カメラの前で微笑んでくれる。今の日本人が忘れてしまった感情がここにある。
ここにいる、カメラをもっている、しゃしんをとる
西岡 潔
それは自分の奥深くに刻まれているモノを掘り起こすような不思議な感覚。
眼の前の光景を「間」として捉え、間と間にある時間の概念ない景色を描いた、三木淳賞奨励賞を受賞した「マトマニ」の世界をさらに押し進めた写真家のひとつの集大成。
カタログギフト
菊月江
いかに頭の中のイメージに写真を近づけるか...
自分にとってカメラはそのための道具だと写真家は言った。
まるでキャンバスに絵を描くかのように、写真家は光を自在に操り、トイカメラで夢を現実に蘇らせる。
大阪・南船場のギャラリーアビィ主催、「第8回ギャラリーアビィ・オールスターズ戦」で1位に選ばれた作品を含む、写真家が拾い集めた光の結晶。
日々のかけら
古川 亜希子
息子が3歳になったとき、撮影の旅に出ようと写真家は海外に飛び出した。
以来、長年愛用しているローライフレックスを片手にフランス、ハワイ諸島のカウアイ島、スリランカを訪れ心に残る風景を撮影してきた。旅という非日常の中で写真家の心を捉えたのは、その土地で生きる人々のなにげない日常。旅は「日々のかけら」が宝物だと教えてくれた。
東京落日
山下 忠志
東京という絶えず新しいモノが流入する街の中では、人も消費されているモノの一部なのかもしれない。華やいだ都会の光と影。写真家は東京の街に生きる人々の人間模様を力強いモノクロで表現した。
佳子
内倉 真一郎
その少女はまるで人形のように街角に立つ。
和服を着て、薄化粧を施した佳子。
子供らしい表情が消えた少女の面影はどこか狂気に満ちている。まるで置き忘れられた日本人形が持ち主の帰りを待つかのように、誰かに拾われるのを待つかのように、少女は街角に立ち続ける。
2013年度写真新世紀佳作(椹木 野衣 選)受賞作品。
Dew Dew, Dew Its
田中 ヒロ
この作品は写真家がアメリカのロックバンドのツアーに同行して撮ったもの。ライブとパーティーに明け暮れ、 疲労と二日酔いのまま街から街へ移動して行くミュージシャンたちの高揚感と倦怠感。彼らのお祭りのような日常の光と影を、写真家はフラッシュを効果的に使うことにより見事に撮り分けた。
フランスのShashin Book Award 2014 受賞作品。
The Lost Days
後藤 雛乃
人の気配がかき消された町並みはまるでゴーストタウンのよう。
写真家は若い頃、東松 照明氏に強く影響を受けたという。
モノクロームで、ハイコントラスト、そしてエッジを効かせたシャープネス。その見る者にピンと背筋を伸ばすような緊張感を与えてくれる描写は、まるで冬の街を歩くようなひんやりとした心地よさを思い起こさせる。
wonderland
takamoto yamauchi
東京、デンマークのコペンハーゲン、そしてイタリアのコルトナ。
3つの都市を結ぶ現代の童話。
写真家はそれぞれの街で見つけた断片から街の童話を作り上げ、現実の世界からwonderlandへと続く扉を開いた。
自身が親交のある世界最高の報道写真家集団Magnum Photo所属のJacob Aue Sobol氏との合作を含む三都物語。
ハチのムサシは死んだのさ
~プロローグ
石黒 興作
この作品は1970年代初頭の歌謡曲「ハチのムサシは死んだのさ」に触発された写真家が来年の個展のプロローグとしてまとめたもの。
ストーリー性を強めるため、モデルには配役をし、ひとつの小劇を創り上げるように撮影していく。その劇的な演出と個性豊かな登場人物が見る者の心を捉えて離さない。
elsewhere
宮﨑 万純
だが、その願いとはうらはらに時の流れは残酷なまでに現実を変えていく。
だから彼女はelsewhere(どこか他の場所)を探し求める。そこは愛しいものすべてがとどまり続ける桃源郷。
樹々万葉(きぎのよろずは)
[ Life of Silence ]
浜中 悠樹
街で暮らしていると自然に触れる機会は少ないと感じる。だが、街中の樹々もよく観察してみると四季折々の表情が見えてくる。新芽の生吹から枯園へと流れる生命の営み。
写真家はその姿を大胆なアングルと構図で幾何学的に写し撮った。
第35回写真新世紀 優秀賞(HIROMIX選)作品。
Compartimos
水渡 嘉昭
タイトルの「Compartimos」は、スペイン語で「分かち合う」という意味。
ラテンアメリカを訪れた写真家はそこに住む人たちの人として正直に生きている姿に感銘を受ける。
感情豊かに自然の中で生きている彼らとその純朴な人柄に、写真家は惹かれた。
ラテンアメリカで暮らす人々の良質のポートレイト。
また始まること
kanaho*
どんなに医学が進んだ現代にあってもこの病気を聞いたときの衝撃はいささかも衰えることがない。
写真家は34歳という若さで癌を患った。術後、自宅療養を経て社会復帰した彼女は、日々の生活を写真に収めていく。徐々に回復していく実感と、再発への不安。そして普通の生活に戻れる喜び。今までと同じなのに全く新しい世界が彼女の前に拓かれた。
これはひとりの女性の再生の日記。
0 -rei-
改崎 万里愛
"0"は数字のゼロを指す。
それは、美しく、透明で無いのに有る平和な形。
写真家は変わりゆく世の中で、永遠を探しているという。写真で時を止めることにより、美しさを永遠に残したいと願う。
撮られたのはまるで夢の中かと思われるような美しい光景。写真家が望む静寂の世界がここにある。
Mr.Liberty
シノハラユウタ
この作品は写真家の記念すべき第一作目の写真集からの作品。
2年前、写真家は初めて写真集を作った時に「自由」という言葉が思い浮かんだという。
モノクロでハイコントラスト。
そんな縛りの中で自由に表現すること。スナップの名手が今のスタイルを確立した記念碑的作品。
~になる
井上 智象
日常の中で気になった一瞬を一枚だけ写真に収める。その何げなく撮られた一日の記録は連なることにより存在感を増していき、写真家そのものを写す鏡となった。
Progress middle
小林 奈々美
始まるものと終わるもの。
写真家はかつて生まれ育った街を訪れた。賑やかだった街は住人の高齢化により活気を失っていた。
写真家はその街で今も暮らす親の姿から変わりゆく街とそこにとどまる人の難しさや寂しさを感じとった。
そう、世の中にはとどまっているものはひとつもなくて、私たちはいつも経過途中にいる。
はいらないで
フチタカツコ
子供の写真でよく見られる笑ったり、泣いたりしている写真は本当の子供の姿を写しているのだろうか?
そう疑問に思った写真家が親としての存在を意識させないように、慎重に距離をとりつつ撮影した記録の日々。
そこには、自分たちだけの世界があることに気づき、戸惑いながら親に反発する。等身大の子供たちの姿があった。
De tours les jours
竹中 みなみ
私たちはモノを見る時、自分自身の感情と切り離して見ることはできない。つまり、人は自分自身の「日常」というフィルターを通してその風景を見ている。
「そのとき見える景色は、見えているものだけではない」
と言った写真家の言葉が強く印象に残った...
μ [mju:]
カマウチヒデキ
皮膜という自分の肉体を覆う一枚の皮は、自分と世界を隔てるあやふやな線でもある。人はその皮膜の摩擦から外の世界を感じとる。それは、ただの振動か、もしくは親和か、または違和感であろうか。
写真家は己の肉体が世界に触れるその感触を残していく。
心の彼方 -Beyond the soul-
松井 泰憲
その瞳は人間的でどこか寂しげだ。野生という本来生きていたはずのフィールドから遠く離され、動物園という閉じ込められた空間で生きている動物たちはどんな思いで生きているのだろう。
その物悲しい瞳は野生の鋭さが失われていく本能の悲しみなのだろうか?
モノクロームで構成された作品が美しい、写真家と動物との対話。
They are the stories of individuals
米田 英司
そう考えるとこれほど一期一会的な瞬間はないだろう。同じ車両に乗ったのは、ただの偶然。そこから何が生まれることはなく、人はそれぞれの生活に戻っていく。
だからこそ写真家はその瞬間に惹かれるのだと言った。
Moment
音田 佳菜子
女子高生。
あの頃は早く大人になりたかった。
けど、大人になった今あの時代は特別だったんだと気づく。
危うさと儚さ。
大人と子供の狭間で揺れる彼女たちの感情に触れて、ハッとする。
そう、私にもこんな時があったのだ。でも、あの頃に戻ることはもうできない。ならせめて、その瞬間だけでも写真に残したいと私は願った。
ひとぼし
井上 尚美
普段、都会で生活をしている私たちは伝統的な風習になじみが薄い。
しかし、日本にはまだ古くから伝わる風習を大事に守っている地域がある。
淡路島では、初盆のことを「ひとぼし」と言う。
毎年お盆には、住民が海に集まり、 皆で初盆の霊を弔う。
守っていきたい日本の風習がここにある。
2012 MIO PHOTO OSAKA 公開ポートフォリオ・レヴュー選考 (選考:写真家 今森光彦氏)で選ばれた作品。
Leave one's traces
小松 里絵
まっさらに積もった雪に自分の足跡を残していく。
そんな単純な行為ひとつをとっても、なにか特別なことのように思えてしまう。
明日には消えてしまう自分の足跡を残してなんになる?
私はただ、今日という日にそこにいたという痕跡を残しておきたかっただけ...
宝塚メディア図書館 ZINE / BOOK GALLERY ! 2013 入賞作品。
オフショット
四方 花林
写真家は自分でしか撮れない写真とは何か?と自分に問いかけ、
この作品を撮りだした。
キレイなモノは誰が撮ってもキレイに写る。
なら、自分の大事なモノと向き合っていこう。
それが自分だけができる写真だから...
まだ誰にも見せたことのなかった写真家の新境地を初公開!
うららか
山本 真有
そんな経験を誰もがしたことがあると思う。
では、そんな植物をじっくり観察したことはあるだろうか?
生まれ育った土とも切り離され、生きる糧である水もない世界で、最後の瞬間まで懸命に生きる。
写真家はそんな彼らの美しい姿を愛情豊かに写し撮った。
見る者を優しい気持ちにさせてくれる「植物のポートレイト」。
border
前川 俊介
写真家はあることをきっかけに、この世界の見えない境界「線」を感じるようになったという。
それは国や街との境のようなものから、人と人との間にある「線」まで。
私たちの周りにはさまざまな「線」が張り巡らされ、時には見えない壁として立ちはだかる。
そんな見えない「線」に怯え、それを乗り越えようとした写真家の葛藤の記録。
Salaryman's life
~リーマンズライフ 2013~
ヤマオカ マヒト
そう言った写真家が目指すのは、
写真をテキストを補う「挿絵」として使う「写真文学」。
写真は日常のコピーであり、同時に、心象風景のコピーだという。
写真家は撮影することにより、己自身を晒けだす。
NoRa / monochrome
Kousaku Ishiguro
森山氏は「犬の記憶」に代表されるように、野良犬のように街を徘徊する撮影スタイルだが、
こちらは野良猫スタイル。
自身も愛猫家という写真家は気ままに生きるNoRaたちに、
愛情と親愛の念を抱きつつシャッターを切る。
片隅
崇裕
道の片隅に咲く花は立ち止まり、しゃがんでみなければ気づくことができない。
写真家はその鮮やかに、そして逞しく生きている小さな生命を丁寧に写し撮った。
長年、花の写真を撮って来た写真家の一つの到達点。
空(くう)
みやび
もう閉店したと思われる店のガラス戸に毎日現れるブルドック。
彼女はその犬に勝手に「空(くう)」という名をつけ写真を撮りだした。
「空(くう)」は寝たい時に寝て、食べたい時に食べて、
ガラスの前に人が来ても知らんぷり。思うがままに生きている。
遮るのはガラス1枚。でもその距離はあまりに遠い...
さてさて、彼女の思いは届くのか!?
恋人
久保 和範
子供が成長していく瞬間に魅せるその豊かな感情は、
大人が失っていったもの。
たくさんの出会いに恋しながら成長していく娘の姿は、
見る者に一日一日の大切さを教えてくれる。
娘への温かな愛情が写真から溢れ出す。
これは究極の家族写真。
Landscape#000
牧野 孝彦
前日の夜から山に入り、夜明けとともに撮影を始める。
かつては、静寂に満ちたモノクロームのファインプリントを目指したが、
試行錯誤のなかで現在の表現方法に行き着いた。
まるで水墨画のような色の濃淡、にじみ、かすれ...
それは誰もがかつて見たような、記憶の琴線に触れる懐かしい写真。
= ≒ ≠
上村 千恵子
それは写真が写し出す、現実の世界、現実によく似た世界、
そして現実ではない世界。
写真家が撮る世界は現実の境を超え、深遠な世界に辿り着く。
念願の東京での個展も開催した
今、注目の写真家の作品を見逃すな!
wondergate
吉田 泉
それは写真家のかつての記憶なのだろうか?
それとも、写真家の精神世界なのだろうか?
その世界は不思議な落ち着きと捉えようもない怖さの微妙なバランスの上で成り立っているようだ。
レンズの向こうの世界、それは記憶の底へと繋がるパラレルワールド。
I know~
辻 まゆみ
夜、空の写真を撮っていると、
なにかに呼ばれたかのように地上の景色に眼がとまる。
感じたのは光なのか?闇なのか?
そして写真家は空に憧れつつ、足元を愛おしむ。
モノクロフィルムで作品を発表してきた写真家が久しぶりにデジタルで撮った意欲作。
昨年の写真と今年の写真を少々。
okajimax
写真家はこともなげにそう言った。
過去の実績や感傷にも捕われず、前へと進むそのエネルギーを写真から感じとってほしい。
過去に約10年間写真活動を休止していた時期もあった。
「だから、一度死んだんです。そして生まれ変わった」
壮年の写真家はそう言って少年のように笑った。
今年で13年目を迎える大阪・江戸堀のビーツギャラリー代表。
補集合
山本 瑞穂
晴れた日は影が出てモノ本来の姿が隠れてしまう気がすると写真家は言う。
そのぼんやりとしながらも芯のある描写は見る者の琴線に優しく触れる。
カメラはコニカミノルタα-7 DIGITAL。
レンズは50mmのマクロ。
ずっとそれだけで撮ってきた、これだけで十分ですと写真家は笑った。
ニューヨークの静かな夜
小林 拓
静寂に包まれたモノクロームの世界が見る者を
遠い異国の世界へといざなう。
長年ニューヨークに在住していた写真家の積年の記録。
呼吸
村上 由希映
自ら愛して止まないという奈良での生活の日常を
四角い世界で表現する。
そのやわらかな光のなかで撮られた作品は
見る者を優しい気持ちにさせてくれる。
Time quest
小川 篤志
中判カメラのハッセルブラッドに魅了された写真家は
デジタル化の流れを悠然と受け流し、
眼の前の風景をゆっくりと、
そして、確実にフィルムに焼き付ける。
Time and Place
Tetsuya Nomura
more Beautiful/Dirtier
森 好弘
見上げた空のどこまでも続く青さも、道端に転がる空き缶も等しく美しく撮りたい。そんな写真家の思いが伝わってくる力作。