Forget-me-not 藤元 敬二

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Forget-me-not

photo by 藤元 敬二


僕はあまり感情的なタイプではないと思う。それは僕が同性愛者であり、感情を隠して生きることに慣れすぎてしまっているからだろう。
中学校にいた頃にはゲイであることには気がついていた。もちろん誰にも言えなかった。いつも俗世間から外れた人間だと思っていた。
集団行動など大嫌いだった。恋をしてみたかった。
好きな人と一緒に手を繋いで道を歩いたり、、、当たり前のことをしたかった。それができなかったから、心の中で普通に生きる人間を蔑むことで自分を保っていた。
現実逃避をしたくて旅に出た。英語もできないくせに海外の大学に行くことを決めた。とにかく人と違うことをすることでプライドを保とうとした。
二十代後半でカミングアウトをした時、新しい人生が歩めると思った。しかしそれは違った。ただ自分が苦しい胸の内を吐き出し、自己満足しただけのことである。
両親は顔にも口にも出さなかったけれど、きっと辛い思いをしていたことだろう。

ゲイであるということは、なにも男が好きなだけのことではない。自分の素直な気持ちを誰にも言えず悶々と過ごすその時間の長さ。
その中で何度も自分を見失ってしまいそうになる心と一人ぼっちで向き合い続けるのである。
しかし僕はゲイであってよかったと思っている。
もしも不自由のない生活をしていたら聞こえてこなかったであろう音、見えてこなかったであろう色に気がつくことができた。その音や色とともに眺めるこの世は美しい。
そんな当たり前の数々のことに僕はこの年になって初めて気がついた。それは僕が写真集『Forget-me-not』を生むことができたからだ。
この写真集と向き合い続けた日々は僕が自分自身と向き合い続けた日々だ。一人の男が広島県福山市に生まれ成長していく。保育園、小学校、中学校、高校を経て東京へ。やがて現実逃避に旅を始め、アメリカの大学へ。卒業後もネパールやニューヨークで過ごし、写真を撮り始める。
そしてアフリカに暮らす同性愛者たちを撮影するためにケニアへ。

写真集のどこをめくっても出て来るのは僕である。笑う僕。悩む僕。放浪する僕。そんな僕の視点が捉えるケニアやウガンダの友人たち。
きっと僕にとっての性とは、ゲイであるということではない。悩み、積み重ねた僕の頭や体に染み付いている僕自身なのだ。
それは全人口の7.5%の事実ではなく、世界75億人中、たった一人の物語なのだ。そのことに気がつかせてくれた写真集『Forget-me-not』は僕の宝物だ。
今はただ願っている。この物語が僕の様に社会と自分とのギャップに悩む人たちの目に触れていくことを。堂々と本棚の目立つ場所に置かれていなくてもいい。
そっと寄り添う様に、体に近い距離で呼吸を続けてくれることを。


藤元 敬二( Keiji Fujimoto )

●略歴
1983年生まれ、広島県出身の写真家。現在は東京に暮らす。

HP:http://www.keijifujimoto.net/


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