KALADAN ~ミャンマーの西の果て ロヒンギャの村から~ 新畑 克也

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KALADAN ~ミャンマーの西の果て ロヒンギャの村から~

photo by 新畑 克也


「あなたたちはロヒンギャですか?」「そう、わたしたちはロヒンギャだよ」。
「よかった。あなたたちにお会いしたいと思ってました」。

何度も訪れているミャンマーで初めてそのフレーズを自ら口に出せたのは、他の誰でもない、彼らの目の前だった。

ミャンマー西部ラカイン州。半世紀余り続いた軍事政権が民政移管され急速な発展を遂げる最大都市ヤンゴンとは険しいアラカン山脈で隔てられ、
未だに手つかずの自然や遺跡群に独自の文化を守る少数民族の暮らしが残されている美しいエリアである。
バングラデシュと国境を接するこの土地には多数派の仏教徒であるラカイン族の他に、バングラデシュにルーツを持つ「ロヒンギャ」といわれるイスラム教徒が暮らしており、
その数はラカイン州の人口約300万人の内80万人以上と言われている。

「世界で最も迫害されている少数民族」と呼ばれる彼らは予てより歴史に翻弄され続けてきた。
19世紀、ミャンマー(当時のビルマ)ラカイン地方にはイギリスによる植民地化により多くのムスリムが労働者として流入し仏教徒ラカイン族との歪みが生まれた。

太平洋戦争時には侵略した日本軍がラカイン族を武装させたのに対し、英軍によりムスリムは兵士として利用され、非情な代理戦争はやがて宗教戦争に発展した。
よって日本もこの問題に無関係ではないといえる。イギリスから独立後の軍事政権では彼らは国籍を剥奪され、強制労働や殺りく等の激しい差別や迫害を受け続けた。

現在のアウンサンスーチー氏が率いるNLDが政権を担うミャンマー国内ですら「ロヒンギャなる民族は存在しない。彼らはバングラデシュからの不法移民である」
という姿勢を崩さず「ロヒンギャ」のフレーズさえ口にすることもタブー視されている。

2012年にラカイン州の州都シットウェで過激派仏教徒とムスリムの大規模な衝突が起き、
少数派であるロヒンギャは近郊のキャンプに「避難」の名目で隔離され今も約12万人が劣悪な環境での不自由な暮らしを強いられている。

2016年10月にはラカイン州北部のマウンドーでロヒンギャが国境警察を襲撃したとされる事件をきっかけに軍がこのエリアの海外メディアやNGOを締め出して
ロヒンギャが暮らす村々を襲撃し民族浄化とも取れる殺りくが行われた。
軍はその事実を否定しているが、徐々に村を燃やされた衛生画像、軍人が暴力を加える映像や証言が世に出回り世界に衝撃を与えたのは記憶に新しい。
民主化に沸くミャンマーで新政府が軍を統制できていない裏事情が明るみに出る結果となった。

ミャンマー各地を旅する中で、私はそこで暮らす人々の信じ難い程に慈悲深いやさしさやおもてなしに感動し、魅了され何度も同国を訪れることとなる。
その傍らでロヒンギャの報道や書籍に触れ「こんなにもお人好しな国民性を持つミャンマーの人々がこのような迫害をしてるなんて思えない」といささかな疑問を抱くようになった。

2015年10月に初めてラカイン州を訪れた。有名な遺跡巡りよりも密かに「ロヒンギャに会ってみたい」という気持ちがあった。当初は単なる旅人の好奇心だった。
2012年に衝突のあった州都シットウェは現在は一見穏やかに見える。
しかし各地で破壊されたモスクが晒されており、何より町でムスリムの姿を一人も見かけなかったことに不気味さと寂しさを覚えた。
当時は避難民キャンプの所在地の手がかりすら掴めなかった。

かつてアラカン王国の都として繁栄を極めた古都ミャウーを訪れた際に、郊外へ移動中の車内で偶然にムスリムが暮らす集落を見つけ、翌日宿から一人歩き2時間かけてその村を訪れた。

ラカインの中心を流れる広大なカラダン川沿いにはラカイン族やチン族などが暮らす村々が点在しているが、ロヒンギャが暮らすこの村は不自然に人口密度が高く、
突然現れた謎の外国人に辺りは騒然となり、宇宙人にでも遭遇したかのようなテンションではしゃぐ子供たちや不可思議な表情の男たち、
何事かと赤子を抱えた若い母親たちまでもが自分の周りを取り囲み、収集が付かない状態になってしまった。

こんな経験は初めてだった。「ロヒンギャの何気ない日々の暮らしを垣間見てみたい」という思いは一瞬で打ち砕かれてしまったが、
彼らの熱烈な歓迎を受け、どこからか英語が話せる若者も現れて村を熱心に案内してくれたのだった。

NGOが整備した井戸は在ったが電気も水道も通っていないその村は決して豊かではないが人々の笑顔や穏やかな表情とやさしさがあふれていた。
ニュース映像で涙も枯れ絶望に満ちた顔のロヒンギャしか見たことがなかった私は逆に衝撃を受けたのだった。

しかし実際に彼らも移動を制限され村を出ることが許されず、村の商店で並べられた商品も近くの比較的温和な関係の仏教徒の村から高値で仕入れていることや、
村の小学校も国の支援はないため大人たちが協力し校舎を作り、マレーシアから援助された英単語の教科書でやりくりしていること、
この一帯の治安は今は比較的安定しているがかつて1990年代に北部マウンドーから強制移住させられた人たちで形成された区域があることも知った。
「病気の子供を見て欲しい」と家に呼ばれるも何もしてあげられない自分に不甲斐なさを感じることもあった。

他の国であればここは貧困に喘ぎ心も擦れ、無防備の外国人が近づけばすぐに襲われるようなスラムなのかもしれない。
しかしこのミャンマーと云う国はそんな警戒心が生まれないのだ。現にこの村で出逢った人たちも異国の自分を友人のように受け入れてくれ、
強引な物乞いなども存在しない。子供たちの中には控えめに「お金ちょうだい」と言ってくる子もいたが大人にたしなめられていた。
国に不平等な扱いをされながらも彼らにモラルや良識が存在することに心を動かされた。

国籍や選挙権をも剥奪されたロヒンギャが自らの力で社会を変えることは不可能だ。無邪気な表情を見せる子供たちは大人たちの唯一の希望であろう。
しかしその現状を伝え広めていかなければ彼らは永遠に「存在しない人々」のままになってしまう。

さらに言えばこの西部ラカイン州はミャンマーでも最も貧しい州の一つであり、仏教徒のラカイン族や他民族でさえロウソクの灯りで夜を越え、
雨季は毎年洪水の被害に見舞われて多くの死傷者が出ているのが現状である。
ここ数年最大都市ヤンゴンの高層ビルやホテルの建設ラッシュやインフラ整備の様子を見ていると、広がり続ける地方との格差に強烈な不安を感じてしまう。

今回の作品群は2015年10月に初めて村を訪れた時、さらに翌年2月に再訪した時の写真をまとめたものである。
実際にロヒンギャの人たちに出逢い友人ができたことでニュースの中の遠い問題が他人事ではなくなってしまった。
そして彼らは群馬県館林市に在るロヒンギャのコミュニティで難民として暮らす兄弟を紹介してくれた。好奇心で始まったこの旅は思わぬ展開を見せている。
今回の作品がミャンマー国内外で多くの苦難を抱えるロヒンギャの存在を一人でも多くの人に知ってもらう機会になればと思っている。


新畑 克也

● 略歴
1979年広島県呉市生まれ。東京都在住。
2010年に初めて旅行で訪れたミャンマーで人々の温かさや純朴さに触れ、半世紀以上続いた軍事政権による閉鎖的な政治の影響により
まるで数十年前から時が止まったままかのような町並みに驚き、守られた伝統文化や宗教感、豊かな自然に魅力されその後繰り返し同国を訪れる。

当時ミャンマーは偶然にも政治的な転換期を迎え、民主化への人々の希望や熱気、不安を旅人として肌で感じながら変わるもの変わらないものを写真に収めるようになっていた。
旅先で出逢う人たちとのコミュニケーションツールとして、そして出来る限りその瞬間を美しく切り取りたいと云う思いから本格的に写真を始める。

2015年10月にバングラデシュに近い西部ラカイン州を旅し世界規模で人権問題となっているロヒンギャ族が住む村を偶然に見つけ訪問。
2016年2月、2017年1月には同村を再訪。今後はこの国の光の当たらない矛盾や気がかりにも焦点を当て写真を通して伝えていきたい。

HP:http://www.katsuyashimbata.com/
Facebook:https://www.facebook.com/kman57move

●展示
2016.04「Face Trace写真展 ミャンマーとラオス 邂逅の大地で(グループ展)」東京・大塚 ano ano galerie
2016.10「KALADAN~ミャンマーの西の果て ロヒンギャの暮らす村から~」横浜・綱島 Point Weather
2016.11「ミャンマー祭り2016『日本・ミャンマー交流写真展』審査委員長賞受賞」東京・芝増上寺


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