いつかかわっていく景色 八木 香保里 showcase-VOICE-

BACK

いつかかわっていく景色

photo by 八木 香保里


いつかかわっていく景色
(御苗場vol.17関西&KAWABA NEW-NATURE PHOTO AWARD 2015 出展作品)  
 制作年 2013年から継続中    


変わらないために変わる
それは
大切なものを守ることに似ている  

出逢いなおしているのだろう  
わたしたちは きっと
いつかかわっていく景色



好きな場所へ出向いても心が躍らず、賑やかな声は懐かしい音になり、私のなかを通り過ぎていきました。
見慣れた景色が私の眼にはどんどん移り変わっていきました。
「見えなくなればいいのに」と思うほど、何も見たくない時が続きました。

普通なら、こんな気持ちになれば、「写真を撮ろう」と考えないものでしょう。
それでも、当時の私は「撮りたい」と思いました。
「撮っておきたい」という方が正確かもしれません。
辛く悲しい出来事に心を閉ざしている自分が、どのように世界を見ようとするのか。
私はそれを自分の写真を通して知りたかったのです。

とにかく「気になる」気持ちに嘘をつかず、撮りたいように撮りました。
臆さず写していくうちに、写真が、自分が失くしたものが集まる場所になっていくことに気づきました。
温かさや優しさ、悲しみ、憂い、怒り。
心境までも見える形にすることで過去の自分と手をつなぎ、今もなお写真を通して自身を捉え直しています。

視界に気になる何かが入り込めば、同じ一人の「わたし」がシャッターを切ろうと試みます。
空っぽになった自分が身近な世界をどのように見つめ直すのか、初めはただそれを知りたいだけでした。
レンズを撮りたいものに向けて撮る。
その単純な行為が、実は、自分にレンズを向けて自分自身を撮っている、とも言えるのではないか。
二年近く撮り続けながらたどり着いた答えは、私がずっと「分かっているつもり」だった意識でした。

「いつかかわっていく景色」は、2013年から撮影している写真から選び、一つにまとめたものです。
植物に動物、人物、建物や床、無機質なもの。被写体に一貫性はありません。
撮影時の状況や環境、感情も様々です。
制作年に「継続中」と書くのは、「これを撮ったら終わり」と決心できる一枚がまだ私の手元に無いからです。
記憶が蘇る光景に胸が詰まり、シャッターを切れないことがあります。
そんな広がりを目の前にしても、何となしに「そうだね」と声をかけ、
「またね」と再会を願いあえれば、恐らくそれが最後の一枚になるのでしょう。

写真の一枚一枚それぞれが「わたし」であり、
もしかしたら、この作品に関しては、もうそれ以上特別に言うことは無いのかもしれません。
私にとって「撮ってて良かった」は「生きてて良かった」と同意です。
ささやかな場面の連続にこのような表現は大袈裟ですが、カメラを構えるたびに、そんな風に考えるようになりました。

今もなお「撮り続けたい」という気持ちを大切にします。
それは即ち、自身を大切にすることに繋がっていくものだと信じています。


八木 香保里

●作家略歴
1974年 京都府京都市生まれ
1998年 京都橘女子大学大学院 文学研究科 修士課程修了  

●展示(過去三年分)
2013年 「橋が架かる」(coffee caraway)
2013年 KYOTO PHOTO AWARD 2013 優秀賞受賞者展(GALLERY 9 kyoto)
2013年 「黎明」(フォトカノン戸越銀座店ギャラリー)
2014年 「ここにあること」(ナダール東京)
2014年 RAIEC SATELLITE TOKYO 2015 展(3331 Arts Chiyoda)
2015年 「ブーケ」(花と服のアトリエショップ トコリエ)
2015年 「いつかかわっていく景色」(フォトカノン戸越銀座店ギャラリー)  

●受賞 / その他
2013年 KYOTO PHOTO AWARD 2013 アワード部門 優秀賞(鈴木崇 選)
2013年 ZINE/BOOK GALLERY! 2013 入選
2014年 ナダール東京「めざせ個展」 グランプリ
2014年 六甲山国際写真祭 ポートフォリオレビュー参加
2015年 Photoback Awrad 2014 最優秀賞
2015年 御苗場vol.17関西 レビュアー賞ノミネート(山田眞理子・木下アツオ・橋本大和 選)
2015年 KAWABA NEW-NATURE PHOTO AWARD 2015 ファイナリスト

Blog( おはようとおやすみのあいまに ):http://kahoring.exblog.jp/
Flickr:https://www.flickr.com/photos/kahoring/


☆VOICEではいつも写真家さんに作品に関して質問をさせていただいているのですが、
今回出てもらった八木さんは自分の作品を言葉にするのがとても上手い方でしたので、そのやり取りのメールを紹介します。
このやり取りが、さらに作品の理解を深める手助けになれれば幸いです。(質問者 VOICE代表 小林 拓)


VOICE 今回の作品のタイトル「 いつかかわっていく景色」の意味は?どうしてこのタイトルにしたのですか?  

八木 タイトルが浮かんだきっかけは、旅先で出合った自転車でした。  

2014年の冬に、福島県の浜通り地区を訪れました。いわき市の四倉海岸を歩いているとき、砂浜に壊れた自転車が埋まっているのを見つけ、
「これは地震のときの津波で流されて、ここにいるのかな」と自分勝手に想像しました。本当のところは分かりませんが、その様子を見ながら考えたのは、
「この自転車が無くなる日がいつかやって来る」ということでした。  

変化のなかにありながら変わらない何かを求めることで、穏やかな日々を取り戻す。変わりゆく景色に過去を重ね合わせ、泰平を紡いでいく。
困難にある人たちの心の全てを知ることは不可能ですが、相手の立場に立つことで見えてくることがありました。
この景色はいつか彼らの希望と共に変わっていくのだ、と。その想いを軸にして、
福島県で撮影した写真を「いつかかわっていく景色」と題して作品にまとめたことがありました(https://www.flickr.com/photos/kahoring/albums/72157652805661191)。  

いつもの日々が、地震によって変化したと思います。日常を変えられたことで知る「平穏な生活の大切さ」というものもあると思います。
平穏な日常を取り戻すために、変えたくないもののために、変わっていく風景があるのではないか。砂浜の整備が進めば、自転車が無くなる日もやって来ます。
それは、ありふれた日々を取り戻すための眼に見える変化とも言えます。  

この「いつかかわっていく」という意識の流れが、私には他人事のように感じられませんでした。「今の私の状況に似ている」と思ったのです。
自分自身を捉えなおす手がかりに撮り続けている写真の数々も同じように「いつかかわっていく」と呼びたい、と思いました。
そう思うまでこの作品には違う名前(「立つ鳥」、PHOTO!FUN!ZINE! vol.003 初出)をつけていましたが、
現在は「いつかかわっていく景色」と名前を改めて制作を進めています。    

VOICE 今回の作品で撮影した場所や地域を教えてください。またその場所を選ばれた理由はなんですか?  

八木 「気になったら撮る」が唯一のルールなので、撮影地や被写体は特に決めていません。
写真を選ぶときも「気になる」だけで選んでいます。自分の好きな場所、通った場所、自宅や実家、旅先でも撮っています。
この作品に関しては、「ここでしか撮らない」とか「ここでは撮らない」といった特別な縛りはありません。    

VOICE 作品全般ですが、いわゆる人を正面から撮った写真がありませんね。というか、意識的に人は正面に出さず、風景の一部として留めている感があります。
あえて、人を出さなかった意図はどうしてですか?  

八木 外で一人で撮影することが多く、普段から人物を撮ることは頻繁にはありません。「あえて人を出さない」と言うよりは、
人を撮る機会が極端に少ない状況がそうさせたのだと思います。人を真正面から撮る機会が無いわけではありませんが、
この作品に関しては、どうも人物が特定できる写真を入れないように意識が働いているようです。  

制作時に写真をまとめていくうちに、この作品の特徴の一つに「匿名性」があると感じ始めてからは、
人物と撮影者(私)との関係性が特定しやすい写真を選ばない傾向にあります。個人が特定される要素を曖昧に写すことは、私の撮り方の特徴の一つでもあるのですが、
今回はその撮り方が結果として観る側に想像の幅を広く持ってもらうことに繋がるのではないか、と期待しています。      

VOICE この作品の第一印象は「緑」でした。もちろん、自然の場所で草木を撮られている写真が多いこともあるのですが、それ以外の写真も緑っぽいですよね。
これは八木さんの作品の特徴でしょうか?  

八木 これは私の生い立ちに関係していると思います。採卵業を営む家に生まれ、街中に居を構え、農場のある山里を行き来する暮らしには自然がありました。
現在私は東京に暮らしていますが、郷里を離れ、都会に生きてもなお目に留まるのは、草木や花、山、川、生きるもの、生きた気配や証であり、
これらは「自然」が私の生き方に影響を与え続けてきたことを知らせてくれるささやかな合図の数々であると考えています。  

「緑でないと駄目だ」というわけではないのですが、自然と目が向いて撮っているものの多くが植物の緑なのかもしれません。
フィルム選びの基準を「緑の発色が好きだから」としていることからも、意識している色であることが伺えます。    

VOICE 文章から見られる落ち着きのある冷静さは、八木さんの写真に繋がるところはありますね。
つまり、八木さんの写真は感情の起伏がなく、落ち着いていて、見る人に優しい気持ちにさせる作品ですよね。これは意識されてのことでしょうか?  

八木 「いつかかわっていく景色」の撮影時期は、落胆している状態がベースになっています。
「物を見たくない」とまで思わせるくらいのマイナスの感情が、この作品の始まりです。「光が綺麗だ」とか「風が気持ちいい」といった、
世間一般では「些細なこと」と流される事象が、私にとっては時折訪れるチャンスのようなもので、それは現在も変わりません。
世間の「普通」が私には「特別」で、それを逃したくなくてカメラを構えることは今でも少なくありません。  

ですから、それらを撮影した私自身は作品の全体像に感情の起伏を感じるのですが、一作品として観てくださる側は、
私の感じるそれよりももっと穏やかな波として受け取ってくださる方も多いと思います。作家と観客の間には経験の差異がありますから、
その差異がそのまま作品への印象のギャップに繋がっていくのかもしれません。私は感情の起伏がフラットであることが理想なので、
そういった憧憬の念が作品のムードに色濃く反映されているのではないか、とも思います。  

写真のセレクトの段階で、「これを人に見せて良いものか」と立ち止るタイミングが多くありました。
私は写真に対して「優しくあるべき」とも「楽しくあるべき」とも思いません。悲しいものも辛辣なものも、汚いものも写真にあって良いと思っています。
それでも自分の写真を人に見せる段階まで持ち上げるときに、暗い印象を与える写真を選ぶことに躊躇いがあったこともまた事実です。
世間体が無意識に頭をよぎっていたようにも思います。  

小林さんが御苗場で作品を観てくださってから後、東京での展示では枚数増やして再構成しています。
新しく加えた写真の中には、例えば、悲しくて大泣きした時の眼鏡を写したものや、群れと個人を対比させる見せ方など、
「優しさ」とはまた少し違う印象のものもあります。小林さんも最新の作品を御覧になると、抱かれる印象も変化するかもしれません。    

VOICE 今後の八木さんの活動展開や写真表現でこういったことがしたいといったことがあれば教えてください。  

八木 「いつかかわっていく景色」は今後も制作を続けていきます。すぐに終わるかもしれないし、ずっと続いていくかもしれない。
こればかりは続けてみないとわかりませんが、思い切って形にして良かったと思える作品になっていることは確かです。
行動に移さなければこの作品に出合えなかったわけですから、完成へ導きたいです。
過去の写真を振り返る重要性は、この作品から学びました。撮った後の楽しみを伝えることにもっと目を向けてもらえるような取り組みができれば、と考えています。
一人で作ることが常ですが、自分でない誰かと共に作ることで築いていく新しい視点もあると思います。
独自の視点と新たな視点、その両方を大切に制作を続けていこうと思っています。


VOICE OSAKA Culture WEB Magazine